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航空機

今日は日帰りで東京出張でした。順調に東京での予定をこなし、予約していた17時35分羽田発関空行きの飛行機に乗るべく、いざ羽田空港へ。到着しチェックインしようとしましたがなんと欠航。今日は早めに帰って予定を終わらせ久しぶりに家族とゆっくり食事をしようと思い電話まで入れておいたのですが、その夢も儚く散り・・・ま、こんなこともあるかと思い気持を切り換えて手続きしました。初めての経験だったのでチェックインカウンターでどうしたらよいのか尋ねると・・・次の関空行きまでは約3時間あったので17時発の伊丹空港行きへ便を変更することをすすめられ・・・しかし、まてよ。今朝はりんくうタウンまで車で行き駅のすぐ側の一日600円の駐車場に停めてから電車で関空へ向かった。伊丹空港→なんばまでバス→南海でりんくうタウン→車で泉大津へ。車をとりに行かなければいけないのでかなり遠回りになるけど・・・仕方ないな。結局17時発伊丹行きへ乗ることに。しかし交通費とか出るんだろうか???ANAさんから2,000円頂きました。おそらく決まってるんでしょうね。これもよい経験です。
話は変わり、祖父より生前中こんな話を聞きました。僕が生まれるずっと前の1966年のこと。我が家は約60年前よりずっと商売をしてきており(現在の南出製粉)、当時現役でばりばり働いていた祖父は出張で数日間北海道のお得意先へ行っていました。北海道にいる間お得意先の社長宅で宿泊させて頂いていたのですが、帰る日になったとき先方の社長より「しょっちゅう来れるわけでもないでしょうし、もう一泊していってください」と言われました。祖父は「ありがたいのですが、航空券も予約していますし数日間もお世話になっていますので・・・」と丁重にお断りしました。その後何度か同じようなやり取りが続き、結局厚意をありがたく受け止めもう1泊することになりました。その日の夜、社長と二人で街へ出て食事をし、2軒目へ移り談笑していたその時・・・ブラウン管から流れるニュースが耳に入ってきました。「北海道千歳空港から羽田に向かった全日空ボーイング727型機が羽田空港着陸直前に東京湾に墜落。」一緒にいた二人とも血の気が引き言葉が出なかったそうです。1966年2月4日夜7時01分に起きた羽田沖全日空遭難事故です。驚くことにまさに、祖父が大阪への帰りに予約していた航空機だったそうです。そのお得意先の社長の「もう一泊していってください」という言葉がなければ、予定通りその飛行機に乗りおそらく祖父は亡くなっていた可能性が限りなく高かったと思います。祖父の運命がもしその時変わっていたなら、今日まで続いている会社や家族の運命も全く違うものになっていたのかもしれません。したがってぼくの運命もまた違うものになっていたかもしれません。
人生は一瞬の一瞬の積み重ねで今に至ります。それは自分だけでなく、過去を遡れば先祖から自分を経て未来へと続きます。先祖への感謝、今を大切にししっかりと、そして同時に未来のことを考えながら生きる。東京からの帰り、祖父の話を思い出し色んなことを考えました。本当にありがたい。

コメント
すごいお話ですね( ゚Д゚)

ホントに人生ってわからない・・・
未来のことを考えながら、今を大切に・・・
後悔のないように生きていきたいです。
  • junko
  • 2016/06/14 7:04 PM
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